2006年10月号 “環” /岸本 明子

Ruta 40 Argentina

何もしない、何処へも旅をしないと決めるのも自由、人の知恵に従って生きるか、世間の安易な答えを追い求めるか、それもあなたが決めること。

2005年2月、YAMAHA・XT225を御供に、アメリカ大陸縦断の旅へ。アメリカはサウスウエストを回った。その3ヶ月間は寒さとの旅だった。雨、霙、雹、雪、暴風、稲妻、自然や大地、そして彼らの驚異を見た。

持ち服全てを着用しても、3時間走れば体の感覚が鈍くなる。そんないつも通りの寒空の下、砂漠地帯をひた走り辿り着いたアリゾナ州にあるホピ(ネイティヴ・アメリカン)の村。長いこと、ここへ来る自分を思い描いていた地。

そこでハーレーに乗ったホピの男と知り合い、彼の家にお世話になることになった。私は彼にこう言った。
「こんなに青空なのに、長いこと太陽の暖かみを感じていないようだ」、、。
3日前、彼が村のマーケットに行った時、シャーマンがいたと言う。彼はシャーマンにこう尋ねた。
「いつになったら春は来る?」
するとシャーマンはこう答えたと。    、、、「ネクスト・ウィーク・スプリング・カム」
ははっ、春かぁ〜。 ほど遠い気温だなっ。だって今零下だよ? でも、もしもそれが真実になるならば、あと2、3日後かぁ、、、。まっ、そんなわけないかっ、っと皆で笑った3日後、春は来た。

長い冬の間行う儀式は、長い南への旅からの太陽の帰還を祈願するものと。シャーマンはその時春を見たのだろう。

その後アメリカを抜けBAJAへ。パンアメリカンハイウェーをそれ、がむしゃらにダートを走り下った。遥か彼方へと続くサボテン。町も無い、民家も無い。日が沈み、月が顔を出せば、静寂と静寂がこだまし合う。

中米を走りぬけ、中米最後の国パナマからはマーク船長のメロディー号に乗り込み、5日間をかけ南米のコロンビアへと渡った。その後、エクアドル、ペルーと南へ走り抜け、ウシュアイアへ。そこから北上し、ブエノスアイレスにてアメリカ大陸縦断の旅を終え、帰国した。

そして今もこれからも、あの旅で見て触れた全てが消えることは無い。

薄闇の中を走行中、全てを洗い流してしまいそうな雨に打たれた日。
朝靄の中を走行中に感じた吹き清める風。
目を覚まし、昇る太陽を出迎え、沈む太陽に別れを告げた日々。

どんな道を選ぼうとそこには急な坂や荒れ地があって、私を磨き続けてくれた。

そんな  「旅」  は、美しい。
そんな  「時」  は、美しかった。


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