2008年2月号

ありがとうニッポン〜日本がかなえてくれた私のいろんな挑戦
マホエ・セルジオ

 日本からブラジルまでバイクで走破するのに、300万円もかかった。ブラジル国籍である私は「カルネ」を取得するのに、申請したバイク代金の2倍分の金額を保証金として納める必要があった。多くの在日外国人が、カルネをうまく利用して中古車を輸出していたからだ。アジアの数カ国からは、莫大な輸入税がJAFに請求されていたらしい。

 ブラジルで300万円と言えば、家が建てられる金額。一般的なブラジル人がバイクで世界一周したいという夢を持っていたとしても、現実的には夢のまた夢。ブラジルで300万円を平凡なサラリーマンが貯金しようと思ったら、独身であっても最低20年はかかるだろう。このような現実から、日系三世のブラジル人として世界へバイクで出ることは、さまざまな意味で「多くのブラジル人に夢を与えることになるんじゃないか」と考えたこともある。2000年にバイクで世界を旅することを本格的に考えた時には、貯金はゼロであったが、全ての資金をスポンサーに頼ることを決意していた。

 2002年の日韓W杯のキックオフと同時に、マレーシアからスタートをすることを決めた。2年半をかけて準備する予定であったが、当時の仕事が忙しかったことと、稼いだお金は失敗した事業の借金の返済に当てていたので、スタートの日があと半年に迫ったときでも、準備がほとんどできていなかったのは事実である。旅で使うヘルメットを買うお金さえなかったのだ。それにバイクとカルネを取得する「保証金額」約150万円などの金も、もちろん必要としていた。

 スポンサーになってくれそうな会社などに企画書を事前に出したが、なかなか話がまとまらなくて、協力を得るまでにかなり時間がかかった。そしてスタートする日の3か月前に、保証金額を知り合いから何とか借りてカルネの取得に成功し、バイクを買う金額なども協賛してもらった。

 予定通り5月31日に、クアラルンプールからブラジルを目指して「なんとなく」スタートができた。スタート時点での旅費は、財布の中にあったわずか300ドルであり、トラベラーズ・チェックやクレジットカードなどは持っていなかったのだ。東京のシティバンクの口座に各スポンサーから入金されてくる、いくらかのお金が頼りであったのだ。

 だがなんとなくアジア、中東、東アフリカ(合計28か国)を走破して、ブラジルに無事ゴールできましたね。旅を楽しんだことはもちろんのことだが、困ったときもあった。インドでは、バイクの通関にカルネの使用を認めてくれる空港や港が、ボンベイ(インド西部)、カルカタ(インド東部)、マドラス(インド南部)に限られていた。当時JAFから得た情報では、インド国内どこでも使用できると聞いていたので、思い切ってマレーシアからバイクをバンガロール空港へ輸送したから、とんでもないことになってしまった。3週間もいろいろな通関業者をあたり、バンガロールカスタムにバイクをマドラス空港へ移動させる申請した。するとコミッショナーは莫大な“裏金”を請求してきたのだ。

 諦めることも考えたが、バンガロール市内の日通さんに行けば、日本人に助けを求められるかもと思ったが、インドとパキスタンが戦争を開始する可能性が高かったため、日本人スタッフは全員帰国していた。そこで、同じビルの2階に近鉄エキスプレスの支店があるので「そこへ行ったらどう」と言われて階段を喜んで上ったが、状況は日通さんと同じだった。2階では支店のインド人に、「3階を訪ねたら」と言われた。3階? 「上にはなにがあるの」と聞いたところ、TOYOTAですよと、笑顔で答えてくれた。

 最後のチャンスであった。英語が苦手なので、全てを日本語で話し勝負をかけたかったのだ。TOYOTAでも何でもいいから、とにかく日本人と話をしたいと思って、TOYOTA・TSUSYOの事務所を訪ねた。そこでラッキーなことに、水谷支店長と話をすることに成功したのだ。そして3週間かけてもバイクをマドラスに移動させられなかったのに、トヨタが働きかけてくれたら、たった2時間で申請が認められたのだ。そのうえ、バイクの保管料、カスタム料金なども全て免除してもらえた。さすが日本の大手メーカー! やっとのことでマドラス空港から旅を続けることができたのです。おまけにバンガロール市内にある日本料理店で、あったかい味噌汁などをごちそうになった。一生忘れられない日本料理だったね。

 そして234日をかけて2003年1月に、地元であるサンパウロ市に無事ゴールした後、再び日本へ来て生活を続けることにした。そしてその年、東京の友人が、2008年はブラジル移民祭だから「マリンジェットでブラジルを目指したらどうだ」と言い出したのだ。そんな「バカ」なことができるかと、彼に向かって私は言い返した。しかし友人の話から4年が経った今、あの「バカ」な話が現実となってしまったのだ。この4年間を振り返ってみると、毎日のようにブラジルへマリンジェットで旅することを考えて、その計画を進めて来たのは事実であります。

 今回の旅は「ブラジル移民百周年記念の旅」と言うテーマで、神戸港からマリンジェットでサントス港を目指します。詳細は、ホー ムページまでアクセス下さるとわかると思います。

 ま〜! もう一つの挑戦がこの私にできるのは、豊かな日本で16年も生活させてもらえたからこそだと確信しています。今回もWTN-Jの皆さんの応援を頂き、本当にありがとう! ありがとうニッポン!!!

ホームページ: http://www.100anos.jp




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