2004年10月号 金正日特別列車/奥平正和

 アフリカを回った後、中東、ヨーロッパを抜け、ロシアを横断して帰ろうと思った。ところがロシア東部は、道がない区間があるという。そこで、バイク共々列車に乗ることになるのだが、このシベリア鉄道の旅もなかなか快適である。売店もあるし、居眠りしていられるし、雨が降ってきてもバッグからカッパを出して着ないでもいいってのがうれしい。

 シベリア東部のチタという街から列車に乗ったときは、何人もの人たちに囲まれウオッカをご馳走になりながら(飲まされながら)世界地図を広げ、写真を見せながらロシア人たちを相手にアフリカの旅話をした。

 酒盛りは夜更けまで続き、この酔っ払い連中とずっと一緒はしんどいなぁと思ったが、一人また一人と降りてしまい、4人用のコンパートメントは個室になった。窓外に広がるシベリアの原野などを眺めながら、一人旅情にひたっていると、仕事の合間をみては客室乗務員のナターシャが僕の部屋に遊びに来た。

 ロシア語会話集の単語を指差しながらの会話をする。
<結婚してるの?>
<したけど別れた>
<なんで?>
<説明するの難しい>
<あなたの写真一枚もらえない?>
<いいよ>
<裏にナターシャへって書いて>
<お安い御用だ>
 そして彼女も一枚の写真をくれた。僕は彼女の手のひらにボールペンで相合い傘を描き、そこにカタカナでナターシャ、マサ、と入れた。
<これは何?>
<これはねぇ、幸せになるおまじない>
 旅人奥平、シベリア鉄道の旅のつれづれにロシアねーちゃんとたわむれる。
 ある時、駅でもないところで列車は長々と止まってしまった。何でこんなに長く止まっているのかとナターシャに聞くと、金正日を乗せた列車が通過するので、そちら側の窓のブラインドを下ろしておくように言われているという。
 ほんまかいな? バイクでロシアを旅しているとあまり情報が入らない。

 日本に帰ってからシベリア鉄道のことを調べていたら、(金正日2001年シベリア鉄道の旅全内幕)というのを見つけた。それによると金正日一行は、2001年7月25日にピョンヤンを発ってロシア訪問の旅に出かけ、とある。北朝鮮には政府専用機がないのだろうか、それとも金正日は飛行機が嫌いなんだろうか?

 装甲列車6両(防弾仕様)を含む15両編成の金正日シベリア横断特別列車は、副首相、党書記をはじめ護衛員、料理人、医師など約150人が乗るお召し列車であった。その特別列車の走行10分前に2両の先導車両(地雷探知列車)が走り、爆弾テロや狙撃などを警戒するという物々しさだったという。
 さてお召し列車は、ピョンヤンを出発して3日目の7月28日1時8分にチタ着、そこで20分間の停車となっている。これは僕がチタを出た時の日記の日付とぴったり一致するではないか。
 あの時は信じてなかったのだけれど、だいぶ後になって本当だったのだとわかった。ほんの1、2メートルほどの距離で金正日とすれ違った。あの偉大なる将軍様にこれほど近づいた日本人は、小泉純一郎と俺ぐらいではなかろうかとひそかに思っている。俺がもしゴルゴ13だったなら、今ごろ朝鮮半島は変わっていたかもしれない。


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