2004年4月号 道楽は治らず、なおも続く/Tomoyuki Sakai

 
こんにちは。
 はじめまして。いきなりコラムに登場させて頂きました私は誰かといいますと、皆さんと同じ、オートバイで地球を旅した一人の男であります。
 ここしばらくは外には出ておりませんが、どうしたものか日常のことある場面で、彼の地の感覚が蘇ります。ナイル、1本ぐらいにしておけば良かったのに、あちらこちらのドブ水を飲んだおかげで、手に負えないという有り様でしょうか。

 では、それらしく私の旅の相棒であるオートバイについて書いてみたいと思います。というのも、私も随分長くオートバイと付き合っていて、いい加減飽きないものかと思うのですが、これが否。どうしたものかと。それから抜け出せれば、少しはまともになるかと思うのですが。

 では、野暮を承知で『なぜオートバイなのか』を、少し考えてみました。なんでしょうね、もともと私は移動している感覚が大好きで、それは自動車、飛行機、列車、なんでも好きですが、やはり自分の意志で勝手に何処でも行けること、そして自動車でなくオートバイなのは、あの車輪の上の感覚でしょうか。そして私としては、なによりガソリンの内燃機関をじかに操作する感覚でしょうか。エンジン、それが醸し出すある意味レトロな、いかにも人間が発明した機械という感じ。いいですよね、あれ。砂塵に煙る荒れ果てた街中を、オイルにまみれたポンコツのオートバイがヨレヨレと走り行く光景とか。

 しっくりと馴染んだ細身のスロットルをわずかに開けると、潤滑したにもかわらず、わずかな抵抗を介しスロットルバルブが開き始める。すると地球の地下で眠っていた、真っ黒い太古の液体状化石を精製したガソリンを大気とともに、シュポッという吸気音をたてながら気化器が吸い始める。シリンダー内に流れ込み、圧縮された混合気はスパークプラグの点火によって爆発。そして、小気味良い振動をともないクランクシャフトがゆるゆると回り始める。いいですよねー。

 その構造は、ほとんど、どのエンジンも同じだけれど、シリンダー数、排気量、カムの駆動方式などなどでそのフィーリングは様々。特にそれが顕著であった古めのものが私は好きで、国産をはじめ、HD、MotoGuzzi、BSA、Triumph、BMW、Norton、Jawa、MZ、Ducati、Gilera、Velocette、AJS、Machless、Bultaco、Ossa、Triton、Buell、Uraru、Scotte、Cotton、GasGas、etc、etc! みんな楽しい!

 でも、一つ杞憂が。これらオートバイを含め自動車などに積まれてきたガソリン、ディーゼルのエンジンというのは、いずれ無くなり行く運命にあるということ。少し前まではたいした数でもなかったのに、今や世界中に車は溢れかえり、二酸化炭素を筆頭にそれが環境に与える影響が憂慮されています。

 まあ、原動機が電気モーターや他のエコロジーなシステムに変わりゆくことは、地球上がきれいに、そして静かになることですし、私自身も歓迎ですが、でも少し寂しい思いがします。逆に言えば私達の世代は、長い人類の歴史の中で、ほんの一瞬、栄えた化石燃料内燃機関によるモータリゼーションを楽しめた人間ということになるのでしょうか。

 私も、それはもうただ己の快楽のままに、人の10倍はガソリンを消費してきた気がします。己の快楽のままに。

 後世の歴史書の旅の項には、こんなふうに書かれるのでしょうか。
 『20世紀後半から21世紀初頭にかけ、北による南の搾取はとどまる事を知らず、それにより余剰の経済、余暇を得ることができた退廃した欧米、日本の一部の人々は当時発達したオートバイで旅をしていた。』などと。
 話がそれてきましたが、なにはともあれ、私は、私の中の偽善たる魂がなんと囁こうが、当分はスロットル中毒から抜け出せないということです。
 だって、止められませんよ。楽しんですから。
 ああ、旅に出たい。

 神よ、私を天上にお導き下さいますように。

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