2006年8月号 天空の王国レソト/田島真一
 

 僕がレソトを訪れたのは、雑誌の同行取材でのことだった。当時、さまざまな海外ツーリングのプランを持っていた道祖神さんからお話をいただいてのことで、同社の方もいっしょに走ったのだ。

 僕は正直、レソトという国を知らなかった。地図で見ると、南アフリカのなかにある小さな小さな王国だという。不思議なことに、レソトは完全に南アフリカのなかに陸の孤島のごとく存在しており、かなり独特な存在だ。同行員さん曰く、アフリカのスイスのような所だという。いや、でも、アフリカですよ、と僕は頭のなかで瞬時に思った。

 でも、20時間ぐらいのエアフライトの末、降り立ったヨハネスブルグは、思いのほか涼しかった。ベンツがいっぱい走っていた。さらにレソトとなると標高1500メートルの高地まで上るので、朝夕は寒いぐらい。2000メートルの峠があり、白人向けのスキー場まであった。レソトは豊富な水源をダムで溜め、それを南アフリカに売ることで資金を調達しているぐらいで、緑も豊富だった。スイスは行ったことがないけど、確かにそう表現されてもおかしくない。もちろん砂漠なんて一切無し。初のアフリカは、僕の抱いていたアフリカのイメージとはかけ離れた場所だった。

 現地はヨーロッパから移り住んだ白人が案内してくれた。

 レソトは朝夕によく雨が降る。通り雨のようにザッッと雨雲が通る。だから、風景がいつもしっとりと潤んでいて、ホントきれいだった。ダートを走っていても埃があまり上がらないのもうれしかった。現地で借りたKLR650はハンパなく重かったけど、思う存分ダートを走れたのも海外ならでは。

 南アフリカの郊外は北海道みたいだけど、レソトはスケールが違う。空は青いし、雲も大きい。遙かかなたで雷がゴロゴロ・ピカピカしているのに、1時間走ってもその場所まで届かない。自分がいるところはスカッと晴れていたりする。空が驚くほど広くて、雲がいつ見てもいろいろな形をしていて飽きなかったというのを憶えている。

 よく「どこから来た?」現地の人に聞かれた。日本だというと、けっこうジャパンという国名を知っていたりする。でも、一度検問でそう答えたら、賄賂を要求されて困ったけど。

 レソトの人たちは、昼間でもブランケットを体に巻いている。それが、温暖差の激しい現地でのオールマイティな服なのだろう。そのブランケットは村ごとに模様や色遣いが違っており、通る村々でそれらが目新しい印象をいつも与えてくれた。写真を撮ろうとすると、最初は照れているのだが、意外とジワジワ恐る恐るといった具合で寄ってきて、よくいっしょに写真を撮らせてもらった。どうやら僕らバイクツーリストが、そうとう珍しい存在だったらしい。逆にレソトなんてよくわからない国にツアーで行った僕ら11人は、かなり珍しい存在だっただろう。

 全員が酒飲みだった。毎晩のように現地のビールを飲んだ。一日中ダートを走ったあとに毎日、ナイフとフォークで肉料理。夜は飲んで食って騒いでの繰り返し。最高に道楽をした時期だったと思う。

 その夢から覚めたのは、20時間のフライトのあと、まだ時差で夢見心地のまま自宅の体重計に乗ったときだった。なんせ目が飛び出しそうになるぐらい太っていたもんなぁ。

 ここは高地であるレソトでも高い位置にある峠で、ちょうどここらへんが標高2000メートル。空の澄み切った青さと、それと対照的な真っ白な雲がどこまでも遠くの空まで広がっていた。この峠道は、ぼくが走ったことのあるダートのなかで最も印象深い。
 アスファルトの道から少し脇にそれると、こんな雄大な景色が広がっていた。これも現地を知り尽くしたガイドがいたからこそ見られたといえる。アフリカのスイス、という言葉に嘘はなかったと思った。
 南アフリカから、簡単なゲートと小屋のある国境を越えてレソトへ。陸続きなのはもちろんなのだが、すっぽりと南アフリカに覆われたレソトって、自然や人、伝統、街並みなどすべてがガラリと変わって独特だ。
 白人もよく訪れるという、南アフリカのスキー場にも一泊した。近くには街もあって、山岳民族とはまた違った人たちが住んでいる。自分で撮ってばっかりだったので、同行者に撮ってもらったこの写真は、自分が写っている貴重なカットとなった。
 どこの国の子供たちも、旅行者は珍しいから興味津々といった感じで近づいてくる。カメラを向けると恥ずかしがったり、ピースなどのポーズを決めたり、いろいろな子供がいるので見ていて楽しい。
 ひたすらKLR650を走らせても、ダートはどこまでもどこまでも。レソトは舗装路がないので、日本での林道ツーリングの100倍はダートを走ったと思う。しかも、雨が程よく降るから、あんまり埃が立たなくて快適だ。

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