2005年12月号  アナトリアの吹雪/鰐渕 渉

 イギリス・ロンドンよりヨーロッパを横断して、アジアの入口トルコに到着。本来ならば12月中にトルコ通過の予定であったが、隣国イランのビザを取得するまでかなりの時間がかかり、ついでに現地で出会った旅仲間とかなりマッタリとした時間を過ごしたりして、結局旅の再開が1月6日と、年を明けてのスタートとなってしまった。

 まあ「予定は未定」とも言うし、旅はそうでないと楽しくないのだが、現実はイランのビザの有効期限が迫っているのと、この真冬の季節がら、通常のアナトリア高原縦断では自走すら難しいと聞かされ、それならばとなるべく雪と寒さの影響が少ないように、急遽ルートを変更。黒海沿いにグルジア国境ギリギリの街から、最短ルートで山越えを目指すルートに変更するのであった。

 トラブゾンで魚を食べて英気を養ったあとは、とうとうあの山岳地帯へ……初めこそ渓谷を眺めながらの爽快ツーリングだったが、内陸のアスカルという街を過ぎた峠道からは状況が一変! 周りの雪がどんどん迫り、峠を越える頃には道も含めて一面の雪景色となってしまったのだ!

 ソロリソロリと路肩を走って峠を越え、麓で軍の検問(この季節にバイクでやってきたことに驚いていた)もとりあえず終了。既に道は完全に雪で覆われ、交通量も多くなったからか路面はアイスバーンの状態に……ついにはそのツルツルの路面に引っかかって、スッテーンと転倒! こんな調子で先に進めるのだろうか? 不安が高まるその上で、アナトリアの吹雪が吹き抜けていく……。

 幸いにもすぐに通りがかりのドルムシュが停まってくれ、中の乗客がバイクを起こすのを手伝ってくれた。皆さんの応援をいただき、何とか道を走りきって、やっとのことでギョレという街に到着することができた。

 雪は更に激しくなり、もはやここから先には進むことすらできない。街に1軒だけあった宿に部屋を取って、さてどうしたものかと考えてみる。すると救世主は思わぬ所からやってきた!

 夜になって部屋からフロントへと下りてきた時、パトロールに来ていた警察官ととても仲良くなり、僕の今の状況を話したら、なんと近くの大きな街カルスまでバイクごと運んでくれるトラックを探してくれるというではないか? まさに拾う神とはこのことなのか?

 早速翌朝パトカーに先導されて、町外れでお昼過ぎまで待っていたのだが、あいにく目的のトラックはやってこない。警察官は、ここから約40q北のアルダハンという街にいる軍に連絡した。すると、そこでトラックを待ってほしいとの伝言が入ってきたのだった。

 なんと軍にまで協力してもらえるとは? 車で先に現地に移動した僕であったが、そこの関係者から軽い尋問を受ける。ギョレの街より自由行動に多少の制約があり、心配になった僕は「何か悪いことでもしたのですか?」と尋ねてみると、その人は「いや、君はお客様だよ」と柔らかな物腰で答えてくれたので安心した。まあこんな国境近くの街にこの時期にバイクで来るのだから、怪しいと思われても仕方がないかなあ?

 この街では結局翌日になってもトラックどころか自分のバイクすら到着しなかったので、夕方に再びギョレに戻るよう言われ、夜には懐かしい? 警察官との再会を果たした僕であった。

 明けて3日目。ところでバイクの輸送は? というと、悲しいことにこの3日間1台も希望のトラックは通らず、午後になって雪が溶け出してきたのを見計らって、カルスの街へ自力でスタートすることに決定した。

 今回大変お世話になったギョレの警察官一人一人と硬い握手を交わし、単身一面の銀世界へと僕は飛び出していった。全てが白一色だけの世界の中に、頼りなく一本の道が延びている。少しでも圧雪路を踏まないよう、丘の上では随時確認を行いながら、通常の何倍もの時間をかけてようやくカルスの街へと到着した。

 この先も雪道と寒さには何度も苦しめられるが、ビザ期限の切れる6日前、ようやくと言った感じで国境の街ドゥバヤジットに辿り着いた。宿の窓越しに見る、夕日に輝くアララト山の美しい山並みがトルコの旅の終わりを告げると共に、旅の疲れをスーッと癒してくれるような、優しさで包んでくれる。そんな気持ちでイッパイとなるのであった。


<< 

↑バックナンバーを読むには、上記の<<をクリックしてください