2007年5月号  地球ではない風景を求めて /ヤキソバン

 地球の風景じゃ無いみたい……。
 かつて誰かがこう形容した憧れの地”砂漠”。
 「エジプト9日間デザートツーリング」
 本当は一人で行ってみたかったけれど、諸事情により、このツアーでともかく行ってみた。

 確かに日本には無い、スケールのデカイ風景がそこにはあった。
 しかし何故だろう? 何かが足りない気が、自分にはしていた。

 自分の目に映る憧れの地のはずの風景は、「地球ではないような風景」ではなく、「見覚えのあるようなダート」を拡大したものにしか見えなかった。それはそれとして、遺跡や奇岩群などの珍しいものもあって、楽しくない訳ではなかったが、期待が大き過ぎたのか、少し拍子抜けした気分であった。

 そうこうしているうち、合図を間違え、自分一人先走って遭難しかけた。

 適当な所で暫く皆を待ってみたが誰も来ない。仕方ないので来た道を引き返そうとして別ルートに入り込み、危うく道を見失いかけた。

 見渡す限り砂と礫の広がる大地。人工物なんてひとつも無く、当然辺りに人影なんてありはしない。静まり返った大地に、吹き抜ける風の音だけがやけに耳に響く。

 こんな場所で道を間違えたら、命が……。

 焦りながら先ほどの場所まで一度戻って、今度は慎重に道を確かめながら戻ってみた。最悪の事態が脳裏をかすめ、
”この判断でよかったか”
”進む道はこの風景で間違いなかったか”
 不安を抱きながら進んでゆく。

 ほどなく、道の先に本隊を見つけ安堵のため息をつく。生命の危機から開放された時、振り返ってみると、その恐怖の中に「足りなかった何か」を垣間見たような気がした。

 私にとって、このツアーは快適過ぎたのではないだろうか?
 バイクはレンタルで、整備は人任せ、荷物は持たなくてもサポートカーから必要なものを出してもらえる。道は案内され地図を見ることもない。その事に頼り切って、今自分がいるこの場所が、油断していると人の命なぞ簡単に奪ってゆく過酷な環境である事を、感覚として理解していなかったのだろう。

 それが、何も持たないで一人放り出された状態に置かれた時、初めて目の前に広がる自然に対し”畏怖の念”を感じ取らせたのだと思う。

 その時の風景……
 強烈な日差し
 その日差しの照り返しを受けて白く輝く大地
 耳に残る吹き抜ける風の音……

 それが「地球では無い風景」かと問われれば、それともちょっと違う気がするが、少なくとも単なるでかいダートなんかではありえない。「人知の及ばぬ圧倒的な風景」、言葉にするとこれでもまだ違う気がする。ともかく大いなる脅威と、それが故の美しさのようなものを感じたのは確かだ。

 頭で”知っている事”と、身をもって”感じる事”は必ずしも同じではない。これは、旅に出るといつも感じる事。そしてその事自体が、分かっているつもりになっていて、何か実感する度に、自分が頭で理解したつもりになっていただけだった事に、いつも気が付かされる。

 思うに物を感じ取る感覚と言うのは、貧乏だったり、不便だったり、困った事があったり、とかく逆境の中でこそ研ぎ澄まされてゆくもののような気がしてならない。もちろんそれは当人の資質によるもので、快適で恵まれていようとも感じる事の出来る人もいるであろうが、私自身は今回の事も含め考えると、どうやら前者の方らしい。

 いつの日かまた、自分自身で不便で面倒な思いをしながら、再び何処かの砂漠を訪れてみたいと思う。その時自分の目に映るのが「地球ではない風景」である事を願って。




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