第4回WTN-Jお話会


「日系ブラジル人が見た世界」

日程:2004年4月4日 
場所:目黒区民センター 
話し手:真保栄則夫氏  
個人HP「マホエノリオの単騎ホーテ」 
(http://m.housaku.net/index2.html)

参加者:30名 
報告者:きょきーと こと 片岡恭子 (HP)
写真:もんささ、もんがぁ〜さとみ

 2年4ヶ月ぶりに帰国して東京で出稼ぎ中のかけだしライターの私は、金になるのもならんのも含め、7本の〆切に追われていた。それでもこのお話会のレポートを二つ返事で引きうけたのは、真保栄さんが男前だったからだ。

 真保栄さんは、日系3世のブラジル人。お父さんが日本人でお母さんがブラジル人なのだが、スペインと中南米に4年以上住んでもなお筋金入りのジャパ専である私が断言するからには、彼はいかにも日本男児の男前なのである。

 なぜだろう。以前から南米の日系人にはとても興味があった。日本では日系ブラジル人やペルー人にボランティアで日本語を教え、南米ではブラジル、ボリビアの日本人コロニーや日本人街を訪ね、それだけではあきたらずパラグアイの日系人の下で働いた。

 日系のじいちゃん、ばあちゃんたちは、にこにこして苦労話を聞かせてくれた。誤解しないでもらいたい。しみったれてて貧乏くさい苦労話ではない。日系人のそれはひたすら明るいのだ。まるでつきぬけた南米の青空のように。真保栄さんの話もまさにそうである。

 日本に出稼ぎにきて、パチンコ、競馬と次々にギャンブルにはまる。ガソリンスタンドでバイトをしながら苦学の末、日本語を習得する。起業したものの、失敗し借金を抱える。その間に離婚し、ブラジルには6歳の子供がいる。桂小金治なら涙ながらに語り、みのもんたならエラそうに説教をぶつような人生なのだが、ひとたび当の本人、真保栄さんが語るととにかく抱腹絶倒なのだ。

 「あんたヨシモトに行き!」というのが最高の賛美である関西でしのぎを削りながら育った私が太鼓判を押す。真保栄さんはおもろい。ブラジルというところも、ハンサムでも笑いのとれない男はもてない、厳しい土地柄なのだろう。

 真保栄さんの旅は、2002年5月31日、ワールドカップのキックオフとともに日本から始まり、2003年1月17日、故郷ブラジルで終わる。走行距離44150キロ、訪れた国は28ヶ国に及ぶ。

 インドでは日本企業のお力を拝借して、払うべきものを払わずにすませた。アフガニスタンでは冗談にしても額に銃をつきつけられ、手榴弾を投げつけられた。トルコではクルド人ゲリラと仲良くなってしまったばっかりにトルコ軍にクルド語で挨拶してしまい、拘束され取調べを受けた。危機一髪を人あたりのよさで乗り切ったり、誰とでも友達になれるキャラクターが逆に災いしたりと旅はまさに波乱万丈。しかし、私にも覚えがあるが無事に過ぎてしまえば、どれもがよい思い出であり、笑いのとれるおいしいネタなのである。

 しかも、スポンサーを探して資金をなんとか調達しながらの倹約の旅。ツーリングでありながらもまさに自転車操業。まず成田からマレーシアに飛び、そこから走り始めるのだが、そのときの所持金はたったの430ドルだったという。なんとかなるさで本当になんとかなっちゃう、恐るべしブラジル人の心意気!

 しかし、実際はなんとか"なる"のではなく、"する"のである。真保栄さんは、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、マラウイのアフリカ5ヶ国を無銭で乗り切った。なんと青いバナナを大量に買いこみ、食べ物もガソリンも全部、物々交換でしのいだのだ。貨幣経済というホルマリンにどっぷり浸かった脳みそではまず思い至ることのない、柔軟な発想。そんなシンプルだけど常識をくつがえす、アイデイアの持ち主に大きな拍手をおくりたい。

 真保栄さんは手品を披露してくれた。東京で大人たちがどよめきながら見守っているほどなのだから、もちろんエチオピアの子供たちも目を輝かせて喜んだに違いない。その光景が目に浮かぶようだ。なんて素敵な旅なのだろう。

 旅先で役に立つからと彼は気前よくタネ明かしをしてくれた。そして、ブラジルから輸入したガラナジュースとまだ旅することが難しいアフガニスタンの紙幣をおみやげにくれた。彼のそんなところはいかにもブラジル的だ。

 くどいようだが、真保栄さんは男前である。見てくれだけでなく、中味も生き方もだ。