第5回WTN-Jお話会

 「80年代 手探りのツーリング
日程:2004年6月26日(土) 
場所:目黒区・田道ふれあい館
話し手:斉藤晃氏  

参加者:約30名 

報告者:こぐちょ
写真:もんささ


お話会の告知文

 

┏ツーリングデータ━
◆期間:1987年6月〜1991年1月
◆コース概要:北中米、南米、
┃ ヨーロッパ、アフリカ北西部、
┃ 中東、アジア、オセアニア  
◆走行:134,000km   
◆訪問国:約51ヶ国
◆使用バイク:YAMAHA テレネ 
┃   600cc× 2台
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 今回の話し手は1987〜91年に夫婦で世界一周ツーリングを楽まれた斉藤アキラ氏。

 1987年、80年代前半から海外旅行が一般的になり、渡航者が爆発的に増えた時期だろうか。私自身もグアム、サイパンと正しい順序で海外旅行を経験し、次はハワイかと思っていた頃だ。しかし海外ツーリングなんて全く考えもつかなかった。
 バブル経済真っ只中。お金さえ出せば、世界中何処へでもいける時代だったように記憶しているが、バイクで世界を走ろうとした場合、果たしてどんな時代だったのだろうか? また、夫婦二人で行く世界一周にはどんなドラマがあったのだろうか?

 走り初めから帰国まで、駆け足で話してくれたのだが、それだけでざっと1時間半。既に終了予定時間であった。

 サハラ砂漠縦断では、旅行者が首を切り落とされて殺害された部落に泊ってしまった話。インドでは盗賊の親方の宿に泊ってしまい、早朝こっそり出発しようと思ったら、視界30cmの濃霧の中、決死の脱出劇になってしまった話等々・・・。これから海外ツーリングに行こうとしている人を、思いとどめるには十分な内容であった。
 もっとも、3年半で2回なら、日本で事件事故に巻き込まれそうになる回数より少ないかもしれない。ちなみに、インドでは道路に様々な屍(人間も)が落ちていたそうである。

 当時の日本では、バイクで走るため情報は北米以外殆どなく、地図すら手に入らなかったそうだ。ツーリング中の写真を見せてもらったが、とにかく凄い量の荷物である。確かに、どこで何が手に入るかわからなければ、全て持って行くしかないだろう。

 バイクはヤマハのテレネ600を使用、かなり大柄なバイクで、身長170cmぐらいでやっと足が着くぐらいだと思う。奥さんは小柄で片足のつま先しかつかなかったそうだ。にもかかわらず旦那のほうが倒れたそうである。油断しているからなのだろうか、常に足をつく場所に気を使っている人にはかなわないようだ。

 聞きに来ていたお客さんは、いつもにもまして真剣に聞いている人が多かったような気がする。それもそのはずで、斉藤氏の情報を参考にして、その後旅立った人達も多数聞きに来ていたからである。
 斉藤氏の情報や写真を見て、行こうと(行けると)思った人たちが旅立ち。また、その人たちの旅を見たり聞いたりした人が旅立ち・・・・っと、大勢の人たちが世界へ旅立てたのだと思う。食物連鎖ではなく旅人連鎖だろうか。

 旅の話が終わった後も、熱き思い語ってくれた。一番強く言っていたのは日本人が「日本のことを、特にここ100年の歴史を知らなすぎる」ということ。例えば第二次世界大戦で日本が何をやったのか等。
 そう言われて私も殆ど知らない事に気が付いた。賛成反対は別として、知った上で他国の方々と接するべきだろう。

 話を聞き終えて、80年代と今と何が違うかを考えてみると、バイクの性能は現在とさほど差はないと思う。いまだにガソリンを入れないと走らないし、パンクもするし故障もする。
 一番違うのは、海外ツーリングに関する情報が増えた事だろう。世界中で情報収集や交換ができるインターネットの普及や、現在地や方向が即座に判るGPSの普及等、情報を得る手段が格段に増えた。しかし、世界の多くの地域の人々は80年代と殆ど変わりなく、日々淡々と生きているのであろう。インターネット等で情報を見るだけでなく、自分で旅立たなければ見えない事が多いのかも知れない。

 夫婦2人で海外ツーリングに行くと言うことは、一人旅に対して不自由な点も多いと思う。途中で別れてしまった人、帰国直後に別れてしまった夫婦やカップルも沢山知っている。
 斉藤夫妻の場合は、不自由さを上回る程の良い事があったのだと思う。そして、2人だからの乗り越えられた。2人だからこそ楽しめたことも多かったと思える「お話会」だった。

 機会があれば奥さんの話も是非聞いてみたいと思う。