第26回WTN-Jお話会

オートバイ旅こそが私の人生そのもの 
愛車「三四郎」は私の生涯の盟友
日時: 2009年12月20日(日)14時〜16時30分
場所: 本町区民会館(東京都渋谷区)
話し手: 伊藤 友之さん
参加者: 約20名
報告者: いまさん
写真: 古山里美
 
 私が報告者となるのは2007年12月16日の吉岡錫永さん以来二回目です。本当は受けたくなかったのですが吉岡さんの報告書を書いたのが縁となって私の海外ツーリングデビュー(2008年8月の韓国)につながったので、今度は伊藤さんと北米へ行ける機会が生まれると考えてお受けしました!伊藤さん、よろしくお願いしますよ!
 
 今回お話しされた伊藤 友之さんは私の10歳年上の57歳です。
私が初めて伊藤さんと話しをしたのは2008年3月の水島治・安子夫妻のお話し会の時でした。
 その時の印象は杖を突いていて「事故ったのかなぁ?」私と同い年くらいかな?という感じでした。その後の懇親会で「二ヶ月前に膀胱ガンの手術で膀胱・前立腺・盲腸を全摘して人工膀胱になったと聞いてビックリしました。半年前の春に血尿が出たのにほったらかしたままで秋には「血の塊が出た。」そうで私が思うに『人工膀胱のおかげで命を拾ったのはラッキー!』だと思います。

 その時の心境を伊藤さんはメールで教えてくれました。
「病み上がりの私にとっては、皆様の夢を実現する熱い情熱と同じものが、今でも私の体の中にも間違いなく存在していることをあのmeetingで実感しました。とても嬉しかったです。
 およそ病気と病院にはまったく縁がない生活を半世紀以上送ってきました。元気が私の代名詞でした。輸血12packを含む9時間の手術と55日間の入院そしてリハビリ。
何かこう今までの自分とは違った自分になってしまったような不思議な気がしていました。全身麻酔の最中に、「心」の中までメスを入れられてしまったのじゃないだろうか。意識の無かったその9時間が途方も無く大きな存在となり、自分の「中心」をそっくりどこかへ持っていかれ、代わりに人工膀胱を着けた人造人間になってしまったような気がしていました。でも本当に良かったです、皆さんに会えて。私にとっては一番のリハビリです。」その時に皆さんから沢山の元気を頂戴したのが今回のヨーロッパ11ヶ国ツーリングの原動力になったようです。

 伊藤さんは東京生まれ東京育ちで「自然に飢えていた」そうです。 子供の頃に父親から少年画報社の『日本一周ぼくの自転車旅行』(小林 鉦明 著)の本をもらい「自転車で日本一周するつもりだった!」そうです。少年時代には神奈川県北部の宮ヶ瀬湖近くの親戚の家に自転車で行き、それが大きな自信になったそうです。

 一回目の海外ツーリングは「もっと広い国を知りたい!」と、1974年、大学三年生の夏休みに最初はレンタカー四人で行く予定だったそうですが「一人減り二人減り最後は自分一人になったので身軽なオートバイで行くことにした。」そうです。

 上野で中古のホンダ・ドリームCB250エクスポートを7万円で買い『三四郎』と名付けた愛車で日帰り奥多摩ツーリングをしただけで、横浜から知り合いのアメリカ人が居るシアトルまで送り(面倒な事は知り合いがやってくれた)旅はスタートしました。

KOA(キャンプ・グランウンド・オブ・アメリカ)では「日本人は初めてだからタダでいいよ!」と言われアメリカ人は大陸に住んでいるのでビッグハート(大きな心)を持っていると感じた。
「どこから来て、どこへ行くんだ?」という言葉から会話が始まる。一日1.5食で即席ラーメンを45食持って行ったが、あちこちで施(ほどこ)しを受けたそうです。 何も持っておらず「サンキューベリーマッチ」としか言えなかった。
 会う人会う人皆親切で「とっても幸せな気分になった。」一日に擦れ違う車は2〜3台というアメリカ中西部11,000km、55日間の旅でした。

 この時のことはオートバイ誌に原稿と写真を売り込み1975年の1〜3月号にカラーページで掲載され2万円の原稿料をもらったそうです。

 初めてのオートバイ旅があまりにも素晴らしい体験だったので二回目は、その翌年(1975年)大学四年生の7〜8月の二ヶ月間でカナダとアメリカ往復縦断15,000kmを、したそうです。

 キャンプでテントを張っていると子供が来て、子供と話しをしていると大人が来た。目と髪が黒いからチャイニーズと言われた。
 辛かったことは黄色人種差別で格下と見られること。ガソリンスタンドでトイレに行っている間に水を入れられた…山道でストップして押して戻った…アゴ鬚を生やし刺青をした店員二人に文句を言えなかった…
「酷(ひど)いことをする!」想定外の出来事だった…

 これに対して『地球ドライブ27万km』の大内 三郎さんからは「彼らは、そんなに悪い奴じゃないんじゃないかな?本当に困らせようと思ったらコカコーラを入れる。これくらいのメンテナンスくらい覚えてから来い!という彼らからのメッセージだよ!」と言われました。ガソリンスタンドの古いタンクには雨水が入ることも、あるそうです。

 これ以外には危害を加えられた事は一度も無かった。インディアンの居留地内にある教会の敷地内にテントを張っていたら神父さんに誘われて、親のいないインディアンの子供たちと一緒に長テーブルでご飯をご馳走になったこともある。

 就職は何とかなると思っていて旅行会社4社を受けて全部受かった。面接官には「旅が仕事にプラスになった。と言った人は初めて…」と言われた。「旅をして来た。」と言うだけではダメ…何を感じたか?それを、この会社に入って生かしたい!と伝えたのが面接官の心を動かしたのだと思う。 

 関西の文化を知りたくて阪急交通社に入った。希望するセクションに入れなくて少しガッカリした。6年間勤めた後辞めて親父の作った会社に入った。三回目の海外ツーリングに出掛けたのは、そんな安定した生活で弛んだ42歳の自分の背骨に喝を入れるために2回目のツアーと同じルートで行った。

 1994年にはインターネット環境が出来ていたので予約してカルガリーでレンタルバイクを借りた。バイクは赤いGPZ750で工具が無くバッテリーもダメで、後輪もフロント用のタイヤを履いていた外れバイク…

 北米のローカルロードは20年経っても変化が無かったそうです。
 週4〜5日キャンプで残りはモーテル。ライダーは酒飲みが多く、日本男児は、どんなに疲れていてもNOと言っては、いけない!この時の事は『Beyond the Horizon 地平線のかなたへ…』で制作費40万円で自費出版1,000部した。背中の心棒が元に戻って、行って良かったなぁ〜と思った。

 2007年の春から血尿が出て、年末病院へ行ったら即!入院となり55日間入院して、2008年の1月末に退院した。その時の心境は前述した通りですが、「自分は根が明るいのだが下を向いて歩くことが多くなってしまった…」

 入退院を繰り返し抗ガン剤・放射線治療もした。健康な時は病院の存在すら考えてもみなかったが、みんな生きることに一生懸命で自分を叱咤激励したり、自分が病院でする講演会などの頑張る機会を待っている。
 病気に打ち勝つか・負けるかは、気持ちの問題だと思う…
 暗い人を元気づけるために看護婦さんに「伊藤さんの隣のベッドにしましょう!」と言われ、その人が本当に移って来たこともあった。

 ベッドで元気になったら人生の主導権をがんから取り返すため三四郎で旅に出ようと思っていた!またアメリカに行こうと、2009年1月12日に導入された事前インターネット電子渡航認証システム:アメリカ新入国事前登録制度(ESTA・エスタ)に登録しようと「身体障者」欄にチェックを入れたら何度やってもエラーでアメリカ大使館に行かないと許可が下りなくなってしまった…良く読んだら『麻薬常習者』とも書いてあった…
 仕方なく妹ファミリーが居るドイツのデュッセルドルフからヨーロッパを回ることにした。

 四回目の海外ツーリングは今年(2009年)の夏6〜7月に行った。
 自分が明るくなるために観光地を巡るよりも走り切ることが目的だった。荷物は35kgで人工膀胱セットが嵩張って困った…
 今回の三四郎は27万円のレンタルバイクKAWASAKI VN900 Classicでドイツ
⇒オーストリア⇒リヒテンシュタイン⇒スイス⇒イタリア⇒フランス⇒アンドラ公国⇒スペイン⇒ポルトガル⇒ルクセンブルグ⇒ベルギーと2009年7月の一ヶ月間で11ヵ国8,617kmを走破した。

 スイスは自分が走って来た道が全て見えるワインデイングロードで「何て幸せなんだろう!」と思った。8,617kmも走って事故を見たのは一回だけ、一言で言うと『高速社会』アメリカ・カナダと比べると狭いのに「そんなに急いで、どこへ行くの?」と感じた。

 ヨーロッパの人は不親切…アメリカでは止まって地図を見ていると「故障か?」と思って戻って来てくれる。言葉も全く通じず困った…
 英語が出来れば、どこでも通じると思っていたが、ほとんど身振り手振りだった…
 ヨーロッパは都市に入ると迷って抜けられない… そんな時【カシオの腕時計・PRO TREK】の方位計測機能(デジタルコンパス)が役に立った。『海外ツーリングの必需品です!』

 無事に帰って来たことで『自分が明るくなるため』という目的は達成出来た!自分が現地へ行って得た物は大きかった!「皆一生懸命生きているな、手抜きが無いな。」と思ったそうです。

 帰って来て5ヶ月経ったが、今でも現地を走っている夢を見る。
 子供(28歳の娘さん)も自分が元気だと嬉しい!自分が元気になるためにバイク旅を続けて生きたい!

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 お話し会が終了した後、WTN-Jメンバーで『高年』の松尾 清晴さんと水島治・安子夫妻から『オートバイの旅・世界五大陸走破』講演会のお知らせがあり、66歳の松尾さんは「自分は先が無いので…」と話して会場の爆笑を誘っていました。この明るさが「定年退職後は自分も世界一周!」と夢見ている『中年』の私たちに希望を与えているのです!

2009年の旅
4代目「三四郎」:KAWASAKI VN900 Classic

自費出版本
『Beyond the Horizon地平線のかなたへ…』
  

 オートバイ誌1975年1〜3月号など
海外ツーリングの資料