第30回 WTN-Jお話会

〜オーストラリアツーリング今昔物語〜
日時:2010年10月16日(土) 14:00〜16:30
話し手:
  ・坪井伸吾さん:1980年代
  ・古山隆行さん:1990年代
  ・照ちゃん:2000年代

会場:渋谷区本町区民会館 
    東京都渋谷区本町4−9−7 
レポート:坪井伸吾さん、古山隆行さん、照ちゃん
参加者:約25名

  


今回のレポートは話し手3名に書いてもらいました。


坪井伸吾さん:1980年代




今回はオーストラリアをテーマに30分の話。なんだ30分か、と直前まで準備を怠っていたら時間内にすべてを盛り込むのに一苦労。
当日は時間を意識しすぎて大事な内容を落としまくったというのが自分の感想。この写真を最初の僕が出したら、後の2人に被るだろーな、と思いつつ使うと、やはりで。「ごめん」と思ったことが何度もあった。
ところが、古山、照本、両氏。被ることなんて想定内、と、言わんばかりのオリジナルな切り口で話してくれ随分助かった。二人と組んでよかったです。

--------------------------------------------

古山さん
 
「これこそ自分がやりたかった旅なんだ!」。
古山さんのオーストラリアへの熱い思いは、確実に客席に感染していた。広いところを思いっきり走ってみたかったんだ、という動機にも誰もが共感したと思う。
 
 しかし現実にはオーストラリアのハードルは高い。自分の見聞では80年代に仕事と旅が両立できたライダーはいなかった。現地でレンタルできて、なおかつ乗り捨てできる。90年代のそのシステムがようやく夢の両立への扉を開いた。
 
 とはいえ4000キロを一週間そこそこで走るには、途中でのタイムロスやミスは許されない。古山さんの旅は緊張感の維持が必要な完成度の高いツーリングという印象。欲をいえば一緒に走った相棒がどんな人だったのかを、もう少し聞きたかった。
 
 ひたすら単調な一本道を走り続けると、地平線にひょっこり現れるエアーズロックは感動的だ。見え出してからでも、果てしなく遠いのが、またいい。古山さんの話を聞いて「自分も・・」と思う人が現れればいいな。
 
--------------------------------------------

照本さん
  
サラリーマンではなく、「真面目なサラリーマン」を強調する照本さん。
 
オーストラリアでは2万枚も写真を撮ったといい。
資料もデーターの分析も、会議のプレゼンのように完璧だった。
それでいて季節としては過酷な、真夏、雨季、のオーストラリアに行ってしまう矛盾がおかしい。
 
気温50度を超えると暑いです。
照本さんは、あっさりと言ったが、50度を超えるとそれはもう暑いなんてものではなく、命の危険にさらされる領域だ。
 
2次会でそのことを尋ねたら、私は暑さにも、寒さにも強い、との返事。見た目だけではなく、中身も強靭な照本さんなのだ。
 
 シドニーの空港税関をブーツにジャケットのフル装備で通り抜けようとして、係官と揉めた話はおかしかった。
固有の生態系を持つオーストラリアが海外から持ち込まれる土に警戒するのは理屈が通る。
 
しかし昔は、そのへんの関してはものすごくユルかった。
 
20年の間にオーストラリア人も変わったのかもしれない。


古山隆行さん:1990年代




1987年にツーリングしていた坪井さん。
 
  私の記憶だと、この頃から、ちょっとずつですが、バイク雑誌にオーストラリアツーリングの記事が載り始めました。

 坪井さんはオンロードバイクで走ったそうです。私にとってオーストラリアと言えばオフロードなので、どこを走ったのかなと思ってしまいましたが、坪井さんは、オンバイクでオフも走っていてびっくり。エアーズロックからマウントオルガまでのダートで砂が深くて、一番苦労した区間と話していました。オンであっても行きたい所は走るのが坪井さんらしく感じます。

 西部のモンキーミィアでは、イルカが遊びに来るビーチを訪れたそうです。この頃は、何にも無い普通のビーチの浪打際までイルカが泳いできて、タッチングOKだったみたいです。今では、すっかり雰囲気も変わっているだろうなと話していました。

 因に、現在はやっぱり立派なリゾートになっていて、勝手に食べ物とかあげるのは禁止。風邪をひいている人は近づいてもいけないと、後日、照本さんが教えてくれました。

 オンロード主体のツーリングであったためか、単調で物足りなさを感じたそうです。冒険好きの坪井さんらしいコメントだと思います。でも、オフロードバイクを使い、ダートを走っていたら、もっと違う印象だったかもしれなかったと話していました。
 
  それで夜も走ったのでしょうか。北西部をナイトランした時の話では、あまりの真っ暗闇で、ライトが照らすわずかな範囲以外は真っ黒で何も見えない。この世では無い場所に行ってしまいそうなくらいの感覚を味わったそうです。

坪井さんの頃は、まだ日本人ライダーは少なく、記憶では5人くらい。出会ったライダーの中には藤原貫一さんがいました、偶然ですが、オーストラリア内で2度も会ったそうです。それども、いつかは北海道みたいに、日本人ライダーが増えそうな予感はあったそうです。きっと、それは、英語圏であり、使い易いキャンプ場、治安の良さ、そして、走りやすい、でっかい大陸が、北海道に似ているところを坪井さんは感じたのではないかな、と私は思いました。


--------------------------------------------

 2004年2月、オーストラリアへ45日間の単独ツーリングに出発したのは照本さん。

 入国審査で早速洗礼を受けたそうです。審査がとっても厳しく、食料持ち込み制限があり、土の持ち込みも厳しくチェックされるそうです。
 
荷物を減らすため、バイクジャケットを着て、オフロードブーツも履いて審査を受けたそうです。
 
南半球では2月は真夏、そんなあまりの季節外れの姿に沢山の審査官が集まり、チェックも厳重になったのでしょう。
 
土に関しては、テント、ブーツが要注意、土が付着しているかもしれません。まさに、しかもオフロードブーツを履います。
 
審査官に「ブーツに中に何が入っているのか」には「足が入っている」。で周りに集まっていた審査官は大笑い、でも一人だけは、険しい表情になってしまいました。
 
荷物からミソを発見されたら、「おまえは食料持ち込んで無いにチェックが入っているぞ」みたいな感じに、それには「いやいや、味噌は調味料なので、食料ではありません」と回答。

なかなか、照本さん上手いですね。
 
 
 ツーリング中には、交通量がまったくもって少ないオーストラリアらしく、車とだってすれ違う時には手を挙げたりして、挨拶を交わします。
 
でもちょっと注意が必要。だだあげるだけだと、トラブルが発生して困っている、と思われ、車が止まってしまうそうです。オージーは親切ですね。でも悪いと感じた照本さん、挨拶する時のポーズは工夫したそうです。

 照本さんにとって、オーストラリアで行きたいポイント上位の、1980年代に発見されたパヌルルは(バングルバングルとも呼ぶそうです。私はこの名前ならわかります。)「きっと坪井さんの時代には発見されていなかったのではないかな」と話してました。
 
こんな最近でもこんな発見があるのがオーストラリアらしいです。オーストラリア大陸内陸部は空白地帯という言葉がぴったり。何にもないのです。
 
蛇足ですが、1860年に初のオーストラリア大陸横断に成功した話について書かれた本のタイトルは「恐るべき空白」この本はこれからオーストラリアツーリングする人にはお薦めです。

 あるところでは、大きな足跡発見、その周りにはホウキで掃いたみたいな跡も有り。いったい誰の足跡だったのでしょう。想像にお任せします。
 
 照本さんはあまり日本人には会わなかったそうです。でも話を聞いていた私にとっては、ツーリングの魅力は全く変わっていないと感じました。

--------------------------------------------

 今回、話し手として準備しつつ思いました。
 
お話会では実は話し手が一番「楽しい(?)」。話し手になる事が決まってから、一番やったことは、イメージツーリング(これも?ですね)。当時のメモ、写真、地図を見ながら、スタートからゴールまで、ツーリングを振り返りました。おかげで、いろんな事を思いだしたし、けっこうこれが楽しいのです。その思い出した気持ちを話したのです。
 
お話会当日、会場で話しつつ、私が目で見ていたのは、聞いてくださるみなさんではなく、ホント、ツーリング中にバイクの上から見ていたオーストラリアのダートでした。
 
ちょっとアブナイ妄想ですね。

しかも、自分ではもう十分と思っていたオーストラリアツーリングを坪井さんの視点、照本さんの視点からも聞いてしまうと、オーストラリアを、まだ、もっと、走りたい、という気持ちになってしまいました。


照ちゃん:2000年代




坪井さんのお話

1980年代、私にとって海外ツーリングとは、一部の特殊な人たちだけに許される行為だと思っていました。

当時の雑誌なんかを見てもプロのライダー(ライター?)とか、世間を捨てたツワモノ達が行くものであって

自分のような一般人が行けるようなものではないと、はなっから思い込んでいました。



坪井さんがオーストラリアに行かれたのは1987年、

私のイメージ通りのツワモノ(世間を捨てた人)というとご本人は心外でしょうが、

坪井さんは世間一般とはかなり違う価値観を持たれていたのだと思います。

大排気量のオンロード車で、ダート走行、

一日の最長走行距離、約2000kmなど、

まったく考えられないことをしでかしており、やんちゃぶりが十分に伺えました。



ところが、面白いというか不思議というか、実際海外ツーリングに行かれる人口は

2000年代より1980年代の方が圧倒的にに多かったようです。

当時は変人が多かったのか、はたまた2000年代に海外ツーリングに行こうとする人間の方が

世間に対する変人度が相対的に高いのかよく解りませんが、海外ツーリング人口は減少傾向にあるようです。

何にせよ、1980年代の海外ツーリングは情報収集を始め、

色々な意味で高いスキルが必要であったことは間違いないと思います。



そんな時代にオーストラリアを走った坪井さんが眩しくもあり、羨ましくも感じられました。

因みに、坪井さんが走られたダートの多くは、今現在は舗装されています。



--------------------------------------------

古山さんのお話

某旅行代理店のデータによれば、1990年代は海外ツーリングの絶頂期。

というか、海外ツーリングが旅行代理店を通じて行けるようになったのも

その頃からだったのでしょう。

1980年代よりはかなりハードルは下がったかも知れません。

1990年代は、今から振り返ると、バイクブームがそろそろ陰りを見せ始めたころなのですが、

当時のライダー達はそんな意識もなくまだまだバイクに乗りたい病が全盛の雰囲気でした。

特に、夏の北海道はライダー達であふれ返っていたものです。

古山さんのオーストラリアツーリングは、そんな北海道ツーリングの延長線上にあったそうです。

確かに納得です。

古山さんのルート(ブリスベン⇒シンプソンデザート⇒ウードナダッタ⇒エアーズロック)は

オーストラリアのアウトバックの魅力を存分に味わえるルートらしいです。

(私も行こうとしましたが、季節を間違えて行けませんでした)

古山さんのお話をうかがって、1990年代は、ルート、代理店の体制、仲間探し、

最もバランスのとれていた時代のような気がしました。