第38回WTN-Jお話会

==「オーストラリア、忘れがたき12,000kmツーリング」==

話し手: 中澤徹さん 
日時: 2012年5月27日(日)13:15〜16:00
場所: 大崎第二区民集会所第二集会室
住所:品川区大崎2−9−4
        大崎ウェストシティタワーズ貢献施設棟2階
レポート:坪井伸吾
写真:やまざきふみえ
参加者: 約20名

 

 今回使用した大崎第二区民集会所は、天井にプロジェクターが備え付けられた今までのお話会会場の中で最も設備の整った美しい会場のひとつだった。ところがこのプロジェクターが思わぬ罠で、うまく使いこなせない。苦戦しているうちにパソコンとの接続まで悪くなり、結局、中澤さん持参した予備のパソコンでしのぐ冷や汗ものお話会スタートとなった。

 自己紹介を始める。5歳でポリオにかかり、足に障害があるが仕事にも生活にも支障はないと、明るく語る。もし自分が同じ状況ならば、バイクに乗ろうと思っただろうか、海外に出ようと思っただろうか。優しい語りの中にも強い意志を感じる。

 初めての海外ツーリングは1995年。中澤さんが42歳のときだった。旅行会社、道祖神にバイクのオーストラリア東部個人手配旅行があることを知り、どうしても行ってみたくなった。しかし足のこともあり、立ちごけが怖い。試しに日本のバイク屋さんで使用予定のヤマハディバージョン600にまたがってみたら、これならいけるのでは、と光が射す思いだった。

 交代制勤務の仲間に頼み、有給・連休を取得しての11日の旅が始まる。

 16年も前の話なのに、ブリスベーンでバイクを借り、走り出すときの天にも昇る気持ちと不安は、きのうの話のようなリアルさで届いてくる。そうそう。そうだよね。と思わず言いたくなる。

 東海岸のブリスベーンから中央部のアリススプリングまで、3600キロを無事に走り切った・・と思ったら、終了直前に砂で覆われていた道で転倒し、カウルを傷つけてしまう。修理費は2万円。でもそれで済んだのはオージーの優しさで、本当はもっとお金がかかったのではないか、と思った。

 自信をつけた中澤さんは、それから短期のタイツーリングを6回。ニュージーランド南島1600キロツーリングにも挑戦する。ニュージーランドではもはや手配旅行ではなく、自分で国際電話をかけてバイクを予約。英語は得意ではないので要件だけを一方的に告げ、「ワァット」とうろたえるバイク屋に話させないまま電話を切る。すると相手から会社にFAXが届き、それを見た同僚が「これはなんだ」と驚いた。一人旅には大胆な力技も必要なのだ。

 ここで一度、中休み。黒板にはられたオーストラリアや、ニュージーランドの地図に客席のライダーたちが集まり、走ったコースや宿泊ポイントを興味深く見る。

 後半は2000年のネパールツーリングから話が始まる。カトマンズの空港につくと、ガイド志願の男が近づいてくる。(事前連絡はしていないが)私は知人に教えてもらった現地ガイドに連絡するからと、その男に言うと、それは私だと言う。身分証を見ると本当だった。偶然その日空港に来ていたとのことで、こんなこともあるのかと驚かされる。 

 カトマンズからはポカラに移動してレンタルバイクを借りて走った。

 そして2009年。早期退職した中澤さんは再びオーストラリアに向かう。今度は大陸西側を半周する12000キロの旅だ。時代は変わりインターネットで検索して、安いホテルを見つけられるようになっていた。10月1日、西部一の都会であるパースにあるバイク店で購入したカワサキZZR250(ツーリング後に同じ店で買い取り)で走り始める。同じオーストラリアでも西海岸は東と比べると人口も少なく、町同士の距離も長い。キャンプ場で、ビールがどうしても飲みたくなり、すぐそこに売ってるよ、と言われ買に行くと片道85キロあったり、キャンプ場を出るときにうっかり逆方向に走り、180キロ走ってから気づいたりと、とにかく話のスケールが大きい。

 パーキングに入ると、巨大なバイクに乗ったプロレスラーのような恐ろしげな男たちがいる。しかし外見とはうらはらに、同じライダーとして実に優しく接してくれる。

 やがてあの懐かしいエアーズロックが。二度目だから、それほど感慨もないだろうと思っていたら、目の当たりにすると過去と今が交錯し、胸がいっぱいになった。

 南部のポートオーガスタを経由して、世界でもっとも平らなナラボー平原に入る。遮るものがないために横風が猛烈だがなんとか通過する。

 パースまであと200キロの地点で、横風がさらに強くなり、さらに後ろからは巨大なトレーラーが迫って来た。強風に道路脇まで流され、あわや転倒かと思ったとき、横道からいきなり別のトレーラーが進入し道を塞いだ。後続のトレーラーは路肩に突っ込み急停止した。もしかして死んだオヤジが助けてくれたのかな、という思いがよぎった。

 話を終えて質問タイムに入ると、どうやってギアチェンジするのか、免許は取れたのか、と足のハンデに関する質問が次々と出る。ライダーでもある聞き手は、中澤さんの楽しさや感動が分かると同時に、苦労も分かる。場に強い一体感が生まれたと感じた。

文責 坪井伸吾