第43回WTN-Jお話会

藤原ヒロコ的海外バイク旅の話

話 し 手 : 藤原ヒロコさん
日  時 : 2013年4月20日(土)
時  間 : 午後2時開演〜4時まで
場  所 : 荏原第一地域センター・
       区民集会所第一集会室
住  所 : 東京都品川区小山3−22−3
レポート : 坪井伸吾
写  真 : 蘭丸
参 加 者 : 約80名


 夫(藤原かんいち)に連れられ、いつの間にか世界五大陸をバイクで旅してしまった妻(藤原ヒロコ)の旅のお話。
 どうして旅に出ることになったのか、旅をしながら、何を感じ、どう変わっていったか
かんいちと出会った30年前にさかのぼって、順を追って話してみようと思います。

 バイク旅に興味のある女性の方や、バイク旅の好きな彼や夫を持つ女性の方々はもちろん、彼女や奥さんを旅に連れ出そうともくろんでいる男性、いやいやバイク旅は一人じゃなくちゃ、とか思っているあなたも、世界を夫婦(最初の旅の時は夫婦じゃなかったけど)で旅した私の話が、みんなの旅の参考になれば嬉しいです。

ヒロコ


◆ビデオ撮影画像

前半
http://www.youtube.com/watch?v=sxCuEEjlRhM

後半
http://www.youtube.com/watch?v=TPQYI6i2GDU


◆レポート

 2008年10月、原宿アウトライダー展の目玉として企画されていた藤原寛一&ヒロコ、トークショー。
 話の中で2人が北中南米を縦断し、南米最南端の町、ウスアイアが見えた時のエピソードが語られた。

 「やったついに来た。ウスアイアだ。ヒロコ!」と声をかけた寛一さんに「んん、そうね。それはいいけど、今日の晩御飯どうする」と返したヒロコさん。
 ええ、ちょっと待ってよ。俺の感動はどうしたらいいの、と、寛一さんはうろたえてしまったとか。

 そのエピソードは笑いを超えて、衝撃的だった。
 自分の目線は寛一さんと同じ。でも立ち位置の違うヒロコさんは違う?
 それはどんな世界なんだろう。

 カップルが一緒に旅する。あるいはサポートする。あるいは帰りを待ち続ける・・・。
 今までの話し手とは別の視点からの話をしてもらえないだろうか・・と思っていたら、この夏に旅立つカップルの相談を受けていたヒロコさん自身からも話してみたいと提案があり、実現したのが今回のお話会だった。

 当日はかなりお客さんが入るかもと90人の部屋を予約した。開けてみると、やはり、広島・高知・香川、など、ちょっと信じられない遠方からも人が来ている。

 話は2人が同じ専門学校に通っていた20歳の頃のツーショット写真から。
 スクリーンには「これ誰?」と言いたくなるかわいい2人が写っている。
 それから5年。普通にOLをしていたヒロコさんのもとに寛一さんが雑誌に出ていると昔の仲間から連絡が。あわててアウトライダーを買い、すみずみまで探すが、どうしても寛一さんが見つけられない。それもそのはずかわいい寛一さんは、顔中ヒゲの強面のライダーになっていた。


 その寛一さんから電話があり、久しぶりに会ったヒロコさん。
 そこにはたった5年で人間これほど変わるものなのか、と驚かされる寛一さんがいた。

 地位も金も名誉もない、なのに、この人はなぜこんなに楽しそうなのだろう。
 理解不能の宇宙人のようなのに、不思議な魅力を感じたヒロコさん。
 バイクって楽しいのかな、と影響を受けて免許をとってしまった。

 それからしばらくして、原付世界一周を計画していた寛一さんから「せっかく免許取ったんだし、一緒にヨーロッパに行かない?」と言われる。
 その誘いにヒロコさんはびっくりしてしまう。ヒロコさんには会社の休みを利用した10日間以上の旅行というものが想像できなかった。
 けれどよくよく考えてみたら、もし今ここで旅立たなかったら、自分の人生にこんな機会はもうないだろう。 嫌だったら10日間で帰ってくればいい、と思い切った決断をしたヒロコさん。
   こうして1991年、二人はフランスに飛ぶ。


 原付にこだわる寛一さんはゴリラ。
 ヒロコさんはホンダのダックス70をパリで購入。

 種々の手続きのためパリの安宿に滞在した2人。ヒロコさんは外に停めてあるバイクが気になる。心配して窓から覗くと、そのたびに道向かいの事務所のおじさんと目があい、いつのまにか仲良くなった。そのおじさんが旅立つときに「ボンボヤージュ」と声をかけてくれた。ああ、言葉が通じなくても見送ってもらえるんだ。と感動した。

 実際、旅を始めると周りの人は親切だった。
 だがずっと一緒にいる2人の間には価値観の相違がおこってくる。
 小さな小競り合いが続き、北欧まで来たときに遂にヒロコさんはブチ切れて、もう帰る、と怒鳴った。しかし怒ってはみても、自分ひとりではどうやって帰ったらいいのか分からない。結局、そのまま旅を続けるうちに、すれ違いの溝を埋める方法を学んだ二人。
 気づけば10日間で帰るつもりだった旅は7か月になっていた。

 そんなある日、寛一さんはマルセイユでバイクを盗まれてしまう。
 こうして初めての二人の旅は終わった。

 92年に結婚した二人。

 後から思えば、もし3か月以内で旅を終えていたら、結婚はなかった。3か月我慢してよかった、と思ったヒロコさん。同時に旅は楽しいものであることも知ってしまった。


 次の旅は97年のホンダカブによる北中南米縦断。
 寛一さんはこの旅をもって原付世界一周が完成なので気合いがバリバリ入っている。
 とりあえず大陸の端までは行くべしとカナダ北極海の町、イヌビクに。
 途中幸運にもいつかは見たいと思っていたオーロラに出会い感激、カナダではクマに遭遇し、野生動物との共存について考える。
 旅は順調だ。だがバイクの技術で劣るヒロコさんは、内心足手まといになるのが不安で、心からは楽しめないでいた。

 中米ベリーズのゲリラ地帯で転倒したときだった。ビビりまくっているヒロコさんを助けてくれたのは短パンをはいた地元のライダー。
 肩の力がぬけた。危険、危険、と思い込んでいたここにも普通の生活がある。
 3泊4日の旅ならともかく、自分たちの旅は旅そのものが生活なんだ。
 そうか、隣町に遊びに行く感覚を続けていけばいい。そう思い至ったときにヒロコさんはプレッシャーから解放された。

 メキシコの日本人宿「ペンションアミーゴ」にたどり着くと、そこにはメキシコプロレスの修行に来た人。アクセサリー売っている旅人など。日本でOLをしていたら一生会えない人たちがいた。
 世界にはいろんな人がいる。いろんな人がいていい、と認めた瞬間だった。

 数々の出会いを経て、感じたことは、言葉は通じなくても心は通じる。
 男と女は旅のスタイルが違う。男は走るだけで楽しい、でも女は変化が欲しい。それは2人で走りながらも、自分なりに見つけられる。それができたときに旅は自分自身のものになった、と思った。

 次の旅は2004年3月から、2008年5月まで、途中一時帰国を含めて4年2か月、45か国の電動バイク世界一周。

 今回寛一さんが選んだバイクは電動バイクなので、バッテリーが必要だ。問題はバッテリーが1個6キロもあるのに20キロしか走れないこと。
 というわけで予備を含めてバッテリーは全部で6個。プラス充電器。変圧器。さらに旅の荷物も加えると50ccのパッソルにはもう積みきれない。

 つまり、この旅を成立させるためにはサポーターが必要になるのだが、何年かかるか分からない旅を共にできる人となると、これはもうヒロコさんしかいない。
 そんなこんなで家庭内スカウトされたヒロコさんは再び旅に出ることになった。


 この旅でのサポート用に選ばれたのはバイクは積載スペースの大きい250ccのスクーター、マジェスティ。さあ行くぞ。とサンフランシスコのモーテルの前で荷物満載のバイクを動かそうとすると、重すぎてサイドスタンドが外せない。
 「何やってんだ」と怒った寛一さんが変わるが、確かに危険なほどバイクは重く、仕方ないので寛一さんがマジェスティに乗り、ヒロコさんがパッソルに。
 バックミラーにうつるパッソルを見ながら「あれ、俺のやりたかったことって、これと違うよな」と寛一さんは思ったとか。
 でも、1か月もするとヒロコさんは重いマジェスティにも乗れるようになり、ようやく旅は軌道にのった。

 この旅でも、二人は周りに助けられる。
 北米西部、自然環境の厳しい土地では、道端でバイクを停めていると、かならず通りがかった車やバイクが心配して止まってくれる。見た目は恐ろしげでも、みんな優しい。モーテルやキャンプ場での充電を繰り返し、北米の旅は無事5か月で終わった。

 次の大陸はオーストラリア。
 実はこの大陸こそが、最難関だと2人は考えていた。理由はナラボー平原にはロードハウスが180キロもない区間があるから。6個のバッテリーをすべて使ってもパッソルの最大走行距離は120キロ。これをどうして乗り切るか。

 答えはヒロコさんが、町を往復して充電したバッテリーを寛一さんに届ける。
 寛一さんはできるだけ体を小さくして空気抵抗を減らす。
最大の難所を2人で乗り切ったとき、ヒロコさんは自分が役に立てた充実感に浸った。

 夏をおいかけてヨーロッパ。
 ここでバッテリーが進化。走行距離が1・5倍になり、6個使用時の最高走行距離が120キロから180キロへ。

 旅に慣れてきた2人の間でも新しいルールができる。
 おおざっぱなルートは寛一さんが決めるが、途中にある行きたい場所はヒロコさんが決める。男と女の旅のスタイルの違いをうまく取り込み、どちらも楽しめる形になってきた。

 14年ぶりの東欧。
 昔にくらべ美しくモノも豊富になっている。戦後のユーゴ。延々と続く新しい墓。本やテレビをいくら見ても分からない現場の空気感にうちのめされる。

 そして当初予定になかったアフリカにも行ってみようか、ということになる。
 治安は大丈夫?、食べ物は大丈夫?、バッテリー本当に充電できるの?

不安は無限にひろがるが、行ってみたら意外に食べ物はおいしいし、宿はあって充電もできる。
 ただあまりにも違いすぎる価値観にはとまどい。それは違いを認め受け入れないといけないものだと知る。

 アフリカの後はアジアを経て日本へ。

 久しぶりの日本を走って感じたのは、この国は水と緑が豊か、ということだった。
 外に出て初めて見える日本。自分の今までの常識は小さい世界の常識で、世界にはいろんな価値観があると改めて思った。

 思えば22年前のヨーロッパ。10日間で帰らなくてよかった。
 やめるための言い訳をせずに旅に出て、本当によかった。

 へっぴり腰でも進み続ければ、いつかはゴールにたどり着く。
 頭で分かっていても、普通に生活していたら実感して分かることは少ない。
 実際に経験して分かったことは、これから生きていく上での大きな力になる。

 最後の締めとして語られた言葉は
「世界を走れて、決してすごい人や偉い人になったとは思わない。やったことは重要とは思わない。
 ここで話したことが誰が何か行動にうつすきっかけになればいい」
だった。


 会場が感動につつまれるが、このまま終わらせるわけにはいかない。
 寛一さんにも一言いってもらわないと。

 ところがヒロコさんの話は寛一さんまで感動させてしまい。マイクを受け取った寛一さんが涙ぐみ言葉につまってしまう。その姿に会場も再び感動。
 つまりながら寛一さんが口にした妻への感謝の言葉は、こういう機会でもないと恥ずかしくて言える言葉ではなく、それゆえに聞いている側の心に強く響いた。

 終了後、寛一さんのほうから真面目な顔で、自分も話したい、と申し出があったので、秋ごろにはまた感動のお話会が聞けるはずだ。

 2次会では、いつもは周りをつぶしている酒豪のヒロコさんが酔いつぶれ、居酒屋の隅で幸せそうに寝てしまい、結果、終電に乗り遅れた2人は武蔵小山商店街の中 にあったネット喫茶でお泊り。
 日本にいても旅は続いているのであった。

文責 : 坪井 伸吾


 


広島や高知など遠方から駆け付けた方も。


寛一さんの感謝の言葉に会場中が感動した。


これから旅に出るカップルも参加してくれた。


2次会は遅くまで盛り上がった。