第47回WTN-Jお話会

「のんべぇ宗野 15年目の真実」

話 し 手 : 宗野 浩一さん
日  時 : 2014年5月25日(日)
時  間 : 午後2時開演〜4時まで
場  所 : 大崎第一区民集会所第一会議室
住  所 : 東京都品川区五反田3−6−3
レポート : 坪井伸吾
写  真 : もんがぁ〜


 ただ単純に、「この地球に生まれてきた以上、いろんな国、いろんな世界を見てみたい」という思いで始めた旅です。
 「旅をしたからって、自分の何が変わるわけじゃあない。俺は俺のままだ。」と思っていました。そして、沢山の場所へ行き、沢山の美しい、あるいは厳しい自然の中を走り、沢山の人たちに出逢いながら、私の旅は続いていったのですが、たった一つの出来事が私の人生をガラッと変えてしまい、結局、日本に帰ってきた時には2006年になっていました・・・

 自分で言うのも何ですが、真面目にフツーの人生を送ってきた私が、突然会社を辞めて、旅に出たのは何故か?
 現地購入という手段を取った理由、旅の中で感じたこと、出逢いと別れ、そして国際結婚に至るストーリー。海外での就職と仕事、などについて、当時雑誌やインターネットに書いた文章に加え、未発表の写真を今回初めて公開!そして今だから話せる事も交えながらお話ししたいと思います。

<プロフィール>
のんべえ宗野(本名:宗野 浩一)
神奈川県出身 エンジニアリング系会社員。下記の通り1996?99年に合計50か国の旅

■1996年 3月
タイを1ヶ月旅行。内10日間北部をレンタルバイクツーリング。

■1996年 5月?1997年 3月
ワーキングホリデー制度でニュージーランドへ。語学学校・牧場での乳搾りの仕事
を経験。中古のHONDA XLR250でツーリングをしつつ、トレッキングを楽しむ。

■1997年 5月?1998年 4月
北中南米縦断ツーリング。バイクはL.A.でSUZUKI DR250を新車で購入。
アラスカの北極海に面したプルドーベイから、世界最南端の町ウシュアイアまで
走る。ブラジルから帰国。

■1998年 6月 ?1999年 5月
ドイツへ飛び、中古のKAWASAKI KLR650天涯を購入。全西ヨーロッパ・ギリシア・
モロッコ・トルコ・旧ユーゴスラビア等を走る。バイクをドイツの友人宅に残し
(後日売却)、エジプト・東南アジア・ネパール・インド・中国南部・香港・
台湾・韓国をバックパッカー旅。99年 5月に一旦帰国。

■1999年 11月 ?
韓国 水原市に移住し、約7年間を過ごす。
2006年 7月に帰国。以後日本に帰国し、横浜市在住。


◆レポート

 宗野さん・・・、旅の途中で出会った韓国の方と国際結婚した・・、という話はときおり古い旅人の噂では聞くことはあるが、実際に話したことあるライダーは少ない伝説の人。その宗野さんが、藤原さんのお話会をきっかけに、自分も旅の総括として話してもいい、という。こんな機会はそうはない、と喜んでお願いしたのが今回のお話会だった。

 お話会、当日、少し早目に現地入りしてもらった宗野さんにインタビューする。普通はこの段階で、話すときには時間は常に意識してください、と、話し手に念を押すのだが、宗野さんは余計なこと言わなくても、パーフェクトにこなしてくれそうな安心感がある。
 お話会では熱心なお客さんは開始時間より、かなり前から会場に現れる。なんとなく時間を持て余しているお客さんに、宗野さんが、まだ時間もあるし、子どものビデオでもみてください。と自慢のホームビデオを披露。幸せぶりを見せつける。旅から15年の月日を経て、旅はもう宗野さんの中では消化できたのだろう、と感じさせる幸せ映像だ。

 14時、定刻通りお話会スタート。

 普通に大学に入り、普通に就職して、休みを利用して国内ツーリングを楽しんだり、オフロードの小さなレースに参加したりしていた宗野さんはバイク雑誌で海外ツーリングの記事を見つける。こんなことをしている人がいるんだという驚きが、やがて自分もやってみたい、という気持へと変わっていく。
 就職して5年目。旅に必要なお金もたまる。しかしここで誰もがぶつかる壁。親の説得がある。そのころ宗野さんのお父さんは定年退職したばかり。大企業に入社して働いている息子から、そんな話が出てくるとはまるで思っておらず、当然のごとく反対される。それでも宗野さんの決意は変わらず旅は始まる。

 96年.初めての海外ツーリングはタイのレンタルバイク。このときはどちらかというと海外ツーリングよりもビーチでの滞在がメイン。世界中の旅人と酒をかわしつつ、夜な夜な面白旅話に花をさかせた。
 同じく96年から97年にかけて。タイから帰国してすぐ今度はニュージーランドへ。ワーキングホリデービザを利用しての旅。山歩きも好きな宗野さんにニュージーは憧れの地。そこで撮られた写真はすべて美しい。某有名カメラ会社の社員であった宗野さんはカメラ機材だけで、カバンひとつ分を持ち歩いていたとか。

 ニュージーで使用したバイクは当時の海外ツーリングバイクの定番ホンダXLR250。バイクは買って、売る。それ以降、バイクは同じスタイルで海外ツーリングを行うことになる。
97年3月にニュージーランドから帰国すると5月にはもう次の大陸である北米、ロサンジェルスに飛んでいる。北米は大好きだったテレビ番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」が開催されていた大陸。LAでスズキDR250を購入した宗野さんは、夢の大陸を北上、道の北限、北極海の面したアラスカのプルドーベイまで走り、そこから一気に南米最南端まで。これほどの距離を走ると何らかのトラブルも起こりそうだが、話を聞いているとバイクも人も問題なく、あっさりと走り抜けている。

 98年6月、旅は次のステージ、ヨーロッパ、アフリカ。まずはドイツで中古のカワサキ、KLR650天崖を購入。聞いていると、「あ、そうなの、それで」うっかり流してしまいそうになるが、海外でバイクを購入し、もろもろの手続きを自力で行うことは、それだけで相当大変だ。ところが宗野さんにとっては、それらは一言で終わらせられる話にすぎない。15年前という過去の出来事であること。本人が苦労と思っていないほど有能であること。宗野さんの話は、常にその事実を意識しながら聞かないと、軽く聞こえてしまう。しかし計算通り進行していた旅は、ある日大きな転換点を迎える。ここからが誰にもマネできない、宗野さんが宗野さんである本質にせまる旅となる。

 きっかけはトルコのイスタンプールの安宿で、韓国人バックパッカーだったチョンさんと出会いだった。イスタンプール滞在中一緒に行動した2人。ここまではありそうな話だが、チョンさんがエジプトへと旅立ったあと、どうしようもないほどチョンさんが好きになってしまったことを思い知らされた宗野さんは、エジプトまで追いかけることを決意。
 ところがバイクの書類上の問題で通関できず、港からなくなく引き返す。それでも宗野さんは負けることなく、バイクを知人に預け、飛行機でエジプトに飛ぶ。
 ケータイもネットもない時代に見知らぬ大都会で一人の人間を探すのはドラマチックだ。宗野さんはカイロの安宿を片っ端から尋ね「あなたを探している」という貼紙を張っていく。何の手がかりも得られないまま数日が過ぎる。やはり無理かと思いかけたころ、なんと貼紙のことなど何も知らないチョンさんが宗野さんの泊まっている宿に現れたのだ。
 宗野さんの勢いに戸惑うチョンさん。そりゃそうだろう。ただ時間をかけ、宗野さんの本気の気持ちは届いていく。
 アジアを旅し、かつて自分が好きだったタイのコサムイビーチに彼女を連れて行く。そして旅の終わりには韓国のチョンさんの両親の元へ、挨拶に。帰国後の結婚、韓国での就職、後半、話はバイク旅からどんどん離れていくのだが、その極めて個人的なストーリーは前半の旅話より、さらに面白かった。

 長旅から日本に帰ってきた後、社会不適応になり苦労した旅行者なら何人も知っているが、旅そのものをここまでプラスに転化し、サラリと一流企業に就職した旅行者はあまり見たことがない。話を聞いていくうちに温厚そうな笑顔のうちに秘めた宗野さんのエネルギーを強く感じた今回のお話会だった。
 宗野さん愛のドラマは3時間バージョンもあるのだそうだ。
 幸せな帰国後生活を夢みるライダーは、飲んべえ宗野にビールをおごってたっぷりと聞かせてもらおう。

文責 坪井